2.1991年

 1991年以降、神代弓子は、次々とビデオに出演し、そのたびに、違った魅力を見せていくことになる。「鬼沢修二の皮めくり」では、ドキュメンタリータッチの演出の元、様々なカラミを演じ、「石垣章の果肉いじめ!」では、SEXが苦手な女が心と身体を開いていく過程を、「密まみれ」では、囚われ、言いなりにされ、責められる女性を演じている。

 既に、見るだけで起つ、と言われる、現在の彼女のほとばしる色気と妖気が、これらの作品の中でも、画面の隅々まで溢れている。

 どのような女を演じても、それらの役柄のイメージ自体を性格に把握し、それを僕達の前に提供してくれる、イメージとしてのセックスシンボル。そんな彼女の資質を様々な監督達が、それぞれの視点から引き出そうとしていることが、作品の魅力を増している。

 「石垣章の奥まで1ミリ」では、少女から27才の死までを、女学生(セーラー服の彼女!)、女子大生、イケイケ、看護婦、人妻と、女の歴史を一気に生き抜き、可憐から妖艶まで、あらゆる女の魅力の側面を見せてくれる。彼女の、自由自在に男の欲望を操る事が出来る能力は、ここで完全に開花した。

 続いて「寝室私生活」では、ひたすら夫とセックスし続ける人妻を演じる。相手の欲望に奉仕することが、心からの喜びだというような表情のフェラチオ。こういう際の彼女の魅力は、その表情やフェラテクではなく、例えば、股間にさりげなく、しかしスケベに置かれた手であり、その指のいやらしさなのだが、監督達も、この頃には、そういう彼女の資質を正確に把握している。もはや、彼女のビデオは、それだけで媚薬にもなるところまで来ている。

 「媚肉収縮」では、それまでの、イメージとしての女性を演じることから、一転して、ひたすら彼女のセックスに重点が置かれている。もはや、ここにいるのは神代弓子という女性ではなく、男のセックスへの欲望を吸収し、増幅させる、概念としての「おんな」だ。