一番敏感なのは、やっぱりファンである。

 グラビアなどで煽った人気先行型ではなく、ビデオの質を評価した後発人気型として徐々に存在感を高めた。
この後発人気型こそ息の長いAVギャルになれる条件でもある。
ミリオン出版の『URECCO』では92年9月号で観月マリのインタビューを掲載している。
インタビュー当日は7月だったらしいが、真夏の子供のように真っ黒だった姿にビックリしたという。
「子供の頃から明るいっていうか、うるさい奴でした。幼稚園の頃はピンクレディーが好きで『サウスポー』の服を持ってたんですよ。それを着て公園で友達とペアになて歌ってた」というエピソードが紹介されている。
この頃から観月マリは人前に出る職業に憧れていたようだ。
歌手の目指していたという訳じゃなさそうだが、カセットテープに自分の歌を録音して聞いていた時期もあるらしい。
2作目の『反逆ボディヒート』にはドラマ部分もあって台詞を言えたのは嬉しかったようだ。
AV出演のきっかけに対しては「知り合いを通じて、なんとなく」と答えていたマリだが、どこかで子供の頃から持っていた夢を適えられると思ったんじゃないだろうか?