発売元:株式会社メディアカイト
価格:8800円(税抜き)
MAC/WIN
まだまだ、やりたいことにコンピュータが全然追い付いて来ていなかった頃、デジタル・コンテンツに興味を持ったコミック作家のマイク・セインツが作った「Mac
Playmate」というお下劣なシェアウェアは、後に「Virtual Valerie 」として製品化された。この頃の彼にとっては、まだ絵にプログラムを添えた遊び程度にしか考えていなかったと思う。
しかし、パソコンでプレイできるビジュアルとサウンドのプログラムが、エンタテインメント作品として確立するようになってくる。セインツが取り掛かった次の“作品”「Virtual
Valerie 2」の制作は遅れに遅れ、やっと発売されたのは、実に3年半も後のこととなった。「Virtual
Valerie 2」を制作する過程で、マイク・セインツはその“デジタル・コンテンツそのもの”を自分の「作品」として捉えるようになり、徹底的に凝らざるを得なくなったのだろう。
だから、本来なら、我々はこの作品をプレイするとき、あられもなくパックリ広げた脚の間に鎮座ましましているValerieの桃色の3Dおまんことキッチリ対峙するべきである。そして、鬼才マイク・セインツが3年半を費やした力作の、色艶や質感、ライティングまでを十分堪能し、そのあまりのバカバカしさに大笑いしなくては、この作品を本当の意味で味わったとはいえないのだ。日本発売版で、プレイヤーのちんぽと共に、Valerieのおまんこにモザイク修正が施されてしまっていたことが残念でならない。なぜなら、この作品を完成させたマイク・セインツの心意気こそが、エロCD-ROMをはじめとする、エロとデジタル・インタラクティブ・メディアとを融合させるために必要なキーのひとつだからである。
“エロCD-ROM”というメディアが、現在バブル後の低迷状態を迎えている原因の多くは、作る側も買う側も、共にエロCD-ROMという媒体とその役割を、きちんと位置付けできなかったというところにある。紙や映画、ビデオという媒体で“エロ”を商品にしようとするとき、作る側はそこに“イヤラしい光景”を再現し、観る者はそこに自由なスタイルで参加することができた。外側から「なんだこの女、すっげースケベそうな顔しやがって、ホラ見ろ、男優が出てきただけで眼が潤んでるじゃないか、どうせもうアソコからもスケベ汁をダラダラ流し始めてるんだろ」と観るもよし、男優の視点で「そうか、そんなにちんぽ舐めるのが好きか……欲しがってるんだろ、まあ待ってろよ」と勿体をつけながら、片手で“そのコ”にブチこむためのちんぽをしごいていてもいい。ハッピーエンドのストーリーがそこにあれば、観るものがそこに好き勝手に参加して、それぞれにファンタジーを抱いてくれたからだ。
ところが、インタラクティブなデジタルメディアでは、プレイヤーが常に参加するということが前提となる。そして、どういうカタチで参加させるかというユーザー・インターフェイスやシステムまでひっくるめて、1つの作品として提供しなくてはならない。エロCD-ROMでの参加者=プレイヤーの自由度は、どのように参加するかではなく、参加して何をするか、というところに与えられるのだ。CD-ROMのように、パッケージ化されたデジタル・メディアの中の遊びは、自由度が高いように見えて、実はかなり低いのである。
エロCD-ROMの殆どが“つまらない”と言われてしまったのは、提供者側にその認識が甘く、また購入者側がビデオプレイヤーとは全く異質な、パソコンというハードウェアでプレイされるソフトウェアに、アダルトビデオと同質、あるいは上位互換的な悦楽を求めたことで、相乗的に招いた結果だといえよう。
しかし、マイク・セインツの「Virtual Valerie」は、自分の描くスケベそうなおネーちゃんが画面の中にいて、その女のまんこをいじるとヨガったりしたら面白いだろうな、というところからスタートしている。これは、コンピュータをいじるという行為にも密着した、“ここをいじったらどうなるの?”という根源的な好奇心や知識欲だ。そこから生じた“ガッタ虫”(何かをどうしても知り“たい”とかやり“たい”という中毒の虫:スティーブン・キング「ミザリー」参照のこと)が、我々にバカみたいな連続クリックをさせる。エデュテインメントの傑作「おばあちゃんとぼくと」が、世界中のガキんちょ共から絶大な支持を受けていることからも、デジタル・エンタテインメントにおける“ガッタ虫”の作用の強力さが解るだろう。
ビデオで観るほうがいい映像はビデオで観ればいいし、写真なら紙媒体でもいい。それを観ることで興奮させるためのメディアなら、我々はすでに持っているのだ。「Virtual
Valerie 2」でCGがいかに一生懸命作られていても、これが順番に再生されるビデオ作品なんて、きっと見ようとは思わないだろう。Valerieのおまんこは、それを見て興奮してもらおうというものではなく、コドモより分別のあるオトナの“ガッタ虫”発生を促すためのモノなのだ。
「Virtual Valerie 2」は素晴らしく良く出来た作品というワケではない。しかし、下らないエロCD-ROMの代りに、アダルトビデオは見られても、「Virtual
Valerie 2」の替りになるものは、他のメディアには存在しない。十分にプレイする価値のある駄作なのだ。